問006 信じるとは何か

問答

「あなたを信じます」と決めた場合、その人のことを一切疑わないことを「信じる」だと捉える人がいます。それはそれで間違っていないのかもしれませんが、私は反対です。
何かを「全く疑わない」ということができるとは、私には思えません。できるとしたら、「それについて何も考えない」という場合だけです。考えないのは思考停止であり、無視ということです。それは信じるとか疑うではなく、ゼロであり無ではないでしょうか。

「過ぎたるは及ばざるが如し」という視点で解釈すると、「信じても疑ってもない状態」をゼロとした場合「完全に信じていて疑っていない」という状態は「信じ過ぎ」となり、「疑っている」と同じです。つまり、「完全に信じている」は「完全に疑っている」ということになり、そういう盲信のような状態を一般的な「信じている」とはみなさないと思います。
では、何が「信じている」なのか。私は「信じている人がとるような言動をする」ことだと思います。結局完全に信じることはできないのだから、疑いつつも信じて「どっちかといえば信じている状態」であれば、それに従って行動していれば良いのではないでしょうか。

つまり「信じる」と決めても、疑念を抱くのは問題ありません。
最終的に「信じない」と決めるまでは、いくら疑いを持っても実際に「信じない」とするまでは、「信じている」ということになると、私は思います。

このように考えると「完全に信じなくてもいいんだ」と楽な気もしますが、「信じつつ疑う」「疑いつつ信じる」を繰り返して過ごし続けるのは、苦痛です。パートナーの浮気で考えた場合、「浮気している」または「浮気はしていない」と決めつければそれについて考えずにすみますが、決めつけずにいると考え続けざるを得ず、辛い毎日になります。
これは苦しいですが、この苦しさこそが、「信じる」という行為が貴重であることの証拠だと思います。

*なお、この考え方は、「何かを全く疑わないということはできない」という前提に成り立っているので、それが出来る人には当てはまりません。

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