ネコババ、つまり落ちているもの(誰のものかわからないもの)を拾う(自分のものにする)というのは、悪なのでしょうか。
言葉の由来は、「悪事を隠す」という行為を猫の「フンをしたときに足で砂をかけて隠す」という行為に例えたというものだそうです。つまり、言葉自体に元々悪事が含まれているので、悪です。
ただ、一般的な「誰のものか分からないものを自分のものにする」という「ネコババ」には、「本当に悪である」という認識を持ちづらいです。
ですが、悪は悪であり、ちゃんと腹落ちできる論理を組み立てることができます。
誰かのものを盗むのは悪です。ただネコババは誰のものか分からないので、自分のものにしても盗んだように感じず、悪かどうか分かりづらくなります。
では「悪」であることについて大事なことは何でしょうか。それは社会的に悪であること(罰せられるかどうかや他人から見てどう捉えられるか)ということ以外に、内面的に悪かどうかというものがあります。
「誰のものか分からないもの」は、言い換えれば「誰かのものかもしれないもの」です。誰かのものである可能性がある以上、そうと知っていて自分のものにしたら、それは「誰かのものを自分のものにした」という要素はゼロではありません。
罰や他人視点はともかく、自分ではそれを知っています。他の人のものを盗むということより罪悪感が少なかったとしても、ゼロではありません。つまり、それは悪です。
強引な論理に思われることもあるかもしれませんが、自分のことは自分が一番よくわかっている、ということです。自分で悪だと知っていてやってしまい、それが例え社会に知られなかったとしても、本質的には同じです。
なぜなら、社会や他者からよりも、自分から自分に下す罰の方が本当は重く、同時に逃れられないからです。これはまたの機会に書こうと思います。