「『情けは人の為ならず』の本当の意味は『人に親切にしたら巡り巡って自分に良い報いとなる』という意味です」という話ではなく、その「本当の意味」は正しいのか、という問です。
私は正しい場合が多いと思います。正確にいうと、正しいと思って行動した方が自分のメリットになる場合が多いと思います。
例えば、誰かとレストランで食事をしていたら相手が寒そうに見え、だから寒いかと聞き、そうだと言うのでお店の人にエアコンを調整してもらい、膝掛けをもらいました。相手は寒くなくなり話が弾んで楽しい時間を過ごした、とします。
これは相手に「親切」、つまり寒くないようにしてあげたら、楽しい時間を過ごせたという「報い」があったということになります。このようなことは珍しくないので、私はこの諺は正しい場合が多いと思います。
さらに、はじめに書いた通りこの諺は正しいだけではなく、それを狙ってやるという発想にしても良い結果が出ます。
先ほどの話で例えると、相手が寒そうに見えた時、「自分は相手と楽しく話したいのである」という願望を叶えるために、「寒いせいで相手が正常に喋れず、楽しく話せない」という自分にとって意に沿わない状況が生じないようにすることを目的に相手が寒くないようにする、という発想です。
これは自分の願望を叶えるため、つまり報いを目的として相手に親切、つまり情けをかけています。こう書くと自己中心的で相手のことを考えていないようにも感じるかもしれませんが、自分のためにも相手にことをしっかり考えており、結局とっている行動はどちらでも同じです。
このように利己主義と利他主義の同一化は、実はよくあると思います。自然とやっているせいで気づかないだけです。
自分の目的を叶えるためにはどうすれば良いかを根本まで考えると人に情けをかけた方が良いケースが非常に多く、皆さんもそのように日々の行動を捉え直すと良いかもしれません。
ただし、仕事上での行動や、囚人のジレンマ的な状況だと話が違います。長くなってしまうので、それについては別の機会に書くことにします。