哲学のような学問に対しての普遍的な答えではなく、個人が生きていく上で自問自答した時に使える回答は、持っています。
イメージで言うと死の世界が「自宅」で、生の世界つまり今この文章を書いている世界は「仕事場」です。生まれたというのは出勤したということで、死ぬというのは帰宅すること。
だから「安らかに眠る」とか「土にかえる」とかいう言葉が自然なのだと思います。
しかし、「仕事場にいるってことは、生きるということは仕事をしているということで、それであれば『仕事は何か』つまり『なぜ生きるのか』ということになるじゃないか」という考えが浮かびます。
シンプルに言うと、「死んでないから」。
では「なぜ現世で人は仕事に行くのか」というと、「生きるため」です。仕事をしなければ衣食住が揃わず生きていけません。「自己実現」「社会の役に立つ」などもありますが、メインは衣食住だと私は思います。
これを還元して「現世で生きる」を「仕事」に置き換えなおした場合、「死」が「生きる」になります。生きるために仕事をするのだから、死ぬために生きるということになります。
これは要は生と死のどちらが地なのかという差で、メインを「生」に置いていた時、私も首記の疑問を持っていました。
そののち「死」に主軸を置いた考え方をするようになり、振り返るとその時からクリアに見えていたように思います。
たまに「人は死ぬために生きている」という言葉がありますが、私には、「美しく死ぬために生きる」みたいな意味のことではなく、生きるために働くように「死」のために生きているのだよ、と聞こえます。
はじめにこの言葉を発した人も、同じように考えたのかもしれません。