問013 痴漢される方にも非があるか

問答

私は、痴漢の被害者に非は全くないと思います。

男性が無理に女性の体を触った、つまり痴漢事案が発生した時に、女性の側にも非があると言う人がいます。
また、明言はせずとも女性に対して叱るような語調になる男性(お父さんが娘に、など)も見かけます。これが行きすぎて、叱られるから痴漢のことを家族に言えない女性もいると聞きます。
これは防ぐべき事で、痴漢をされた女性に対して非があるような反応は消せねばならないと思います。

話をシンプルにするためにもっと砕けて例えると、超ミニスカートで階段を登っている若い女性がいた場合、そのスカートの中を覗こうとした男性はもちろん悪だが、超ミニを履いていた女性に非は無いのか、ということです。
私はこの話を考えると、裸の札束を手で持ってスラム街を歩く人を思い浮かべます。その札束を盗もうとした泥棒がいたとして、当然泥棒が捕まるべきで、裸の札束を持っている人は罪に問われません。ただ、「ちゃんと財布にしまおうね」とは言われるでしょう。
では、いかにもお金を持っていそうな服装で、分厚い財布を手に持ってスラム街を歩いてひったくりにあったとします。そうしたら同様に「スラム街を歩かない方が良いのではないですか」という話になると思います。

痴漢も同じ話です。性的に魅力がある身体は欲望を掻き立てるもので、それは札束を同じです。
痴漢に会う人に非はありませんが、自分の体が札束と同じで、例えば混んでいる電車や暗い道はスラム街と同じであると自覚して行動した方が良いと思います。もちろん札束をひったくる人間が悪いのですが、「自分はスラム街を歩くときに裸で札束を持ち歩くか?」と自問し、その回答と同じように自分の身体や服装を扱う方が自分として納得感があるのではないでしょうか。

世の中には欲望を抑えられずに、悪事を働く人は必ずいます。自分の性的な部分をしっかりと「札束と同じくらい価値があるのだ」と認識し、大事にして欲しい。ただ、そのように価値があると思わないようにしている人が多い。痴漢された方に非がある、は、このような問題が大きく影響しており、だからこそ解き明かしづらい事だと思いますが、シンプルに札束とスラム街、と考えれば、誰でもすぐにわかります。
何かの問題をシンプルに考えたい時、そこに関わってきてしまう心理的な引っ掛かり(非合理的なこと)は極力排除しましょう。

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