むかしミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ時、「暇な時間を時間銀行に預けて、大切な時に使えるようにしたい!」と思いました。それは空想の世界であり得ないという感情と共に思ったのですが、今になってよく考えると、可能です。つまり、時間銀行はあります。
例えば、定期的に薬やサプリを何種類か毎日飲んでいるとします。何もせずに過ごすと、毎食後にいちいち薬を出して飲むことになりますが、食事の後は忙しい時も暇な時もあります。しかし、例えばピルケースを用意して、暇な時に10日分の薬をすぐに飲めるように用意しておくとします。そうすると、食事後が忙しい時もすぐ飲むことができます。
つまり、用意するのに使った「暇な時間」は時間銀行に預け入れた事になり、忙しい食事の後にそれを引き出して使ったというわけです。
薬の例だけとると、1分にも満たないです。しかし、そういうことは他にも山のようにあります。
朝の忙しい時間に出かける準備をするのではなく、ゆったりとした前日の夜にあらかじめ用意をしておくなど、考えればいくらでもあります。
チリも積もればヤマとなる、というのは、貯金と同じです。
また、薬の件も、朝の準備の件も、将来のことを予想して前持って動くことが必要です。それも貯金と同じ発想です。今やりたいことを我慢して、浮かせたお金を将来に回すのが貯金であるとすれば、いま暇だけど面倒くさくてやりたく無いことをやって、将来忙しなくせずに済むようにすることと同じです。
「時間銀行があればいいのにね」と思った気持ちをそのまま放って置くのではなく、現実世界でそれに類するものがないかどうか、無いなら作れないかどうかと考えると生活が豊かになるのではないでしょうか。