勉強が何のためにあるのかは別の項で説明しましたが、同種のものとして存在する「テスト」の存在理由はなんでしょうか。私は深度別に3つあると思います。
一番浅いのは、アウトプットの練習です。勉強でインプットしたものはアウトプットすることにより定着します。生きている中で必要なのは結果ですから、外に出すことの練習が必要。
中層にあるのは、想像力の活性化です。出題者の意図を読むことは、難易度が上がってきたステージでは非常に重要です。それは人の心理を読む、つまり想像することです。いかに幅広く想像することができるか、そしてそこから正確なものを選び取れるか、という能力を磨けます。
最後に、仮説構築能力の向上が深層にあります。中層で培える想像力の先には、自分が解く側ではなく、出す側になっている仮定に至ります。相対している出題者のことを探るより、自分が問題を作ることをイメージした方が速度も精度も高く解くことができます。
勉強の延長上にある総括としてのテストの最深部が仮設構築といのうは、学問の基礎が勉強であるということの証明にもなります。学問、研究をする上で重要なのは仮設構築であると言われています。人が考えつかないような仮設を構築できるかどうかは、解くことよりも難しい。
勉強により頭の基礎力を固め、テストをこなすことで仮説構築力を強化する。それがうまくいく、つまりテストで高得点を取れる人間が難関と言われる大学に行き、研究者の道を進むケースがあるのは、筋が通っています。
何のために勉強をしてテストを受けるのか。偏差値が高いというのはどういうことなのか。それは、頭の基礎力と、高度な仮設構築力を得るためです。